The Local

近くにあるものに目を向けよう

2026年1月10日に阿見町から水戸市引っ越してきてから、約2ヶ月半近くが経った。引っ越し先に水戸市を選んだのは、友美は実家の近くという理由もあったが、他に私独自の理由もあった。

今、私は水戸市に住みながら、新しく就いた在宅の仕事を覚えるために注力している。私は、今は仕事に熱心かもしれないが、それだけに満足してはいけないと少しずつ考えるようになった。仕事は人から与えられるもので、いずれは私の元から消え去ってしまう。最後に残るのは自分であって、何をしているかよりも、どのような自分であるのかの方が重要である。

つまり、どのような生活の仕方をしているかだ。自分が決めた、なすべき目標を決め、一日一日前進しようとすることだ。私であれば英語を学ぶと決めているので、毎日英語の勉強に取り掛からないと、一日の終わりの寝る間際になって、その日の時間の使い方に納得できないのである。

私は、阿見町で農業をしていた時、農業は素晴らしい仕事だと思って取り組んでいた。農業に対する強い想いもあり、体力が強くない私は、自分が農業に適性が無いことを薄々気付きながらも方向を変えようとしなかった。しかし、猛暑や経済的条件で農業から離れざるを得なくなり、ようやく私は自分から農業という仕事を手放した。そして心機一転、転職活動をし今の仕事に就き重要なことを理解した。

それは、人は何をしているかよりも、どう生活するのか(生きるか)の方が大切であるということだ。例えば、毎日規則正しく生活ができているか、食事や睡眠に節度を持っているか、労働や勉学に励んでいるか、自分の身体の弱さや年齢を省みず、心身に必要以上の負担をかけていないか、居住空間を整えているか、他人に余計なことを言わず、口を謹んでいるかといったことである。

人は何をするのかというのはあまり選択権がないが、どのように生活するかはある程度自分でコントロールすることができる。

私は水戸に来て一番望んだことは、生活を律し、毎日より良く生きようとすることであった。仕事をダラダラすることなく、時間内に集中して遂行し、空いた時間で勉学にも励んでいく。このような生き方はたとえ農業に関われなくても私にとって価値のあるものだ。

最後に水戸市には弘道館と偕楽園という二つの歴史的施設がある。弘道館は江戸時代の藩校であり、今の時代の総合大学である。ここで何千人もの市民が学問、体育、技術を学んだ。

偕楽園は市民が普段の労働や勉学から自分を引き離し、心身を寛がせる憩いの場として使用された庭園である。

この二つの施設の創設者である水戸藩主の徳川斉昭氏は一張一弛という考えを提唱した。彼は労働や学問で緊張し、強張った身体を時には休め、緩めることを勧めた。この二つの施設は、人が成長していくにはどちらも必要で、互いを補完し合っている。つまり、彼はバランスの取れた生き方の重要性を説いたのであると私は解釈している。

弘道館と偕楽園という二つの存在が示すように、人は、仕事や勉学に励むことで自分の能力を高め、そして時には美しい自然に触れ体の緊張を取り、心を解放させ、前進していくものだと、私は水戸に来て学んだ。

この地域には沢山の梅の木が植えてあり、開花時期には全国から観光客が梅の花を観賞するために水戸を訪れる。長い冬を超えた梅は、美しく凛とした花を咲かせ、爽やかな香りで訪れる人の心を癒す。私はそのような梅を見て、辛抱強く耐えた先に喜びがあるのだと気付かされた。

2026年3月29日 大箸

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