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人の身は父母を本とし、天地を初とする。

タイトルの一言は、貝原益軒の養生訓の冒頭に出てくる。この一文にどのような意味が含まれているのか私なりに考えてみた。

まず初めに貝原益軒(1630年~1714年)とは、福岡県に生まれ、藩医として活躍した人物である。益軒は沢山の書物を残しているが、84歳の時にこれまでの長い生活体験と医学や儒学や、ひろい学問上の知識とを活かし、養生訓をつくった。この養生訓は、ただひとすじに体の衛生を理論としていた医学専門むきの本としてではなく、一般むきの生活心得書としてあらわされている。この書が出版をみた当時ばかりでなくその後ながく、ひろく、一般の人々に愛読されたのも、このためであろう。(一部、本書の解説から抜粋)

私が本を紹介するにあたり、貝原さんを選んだのは、昔の素晴らしい考えを今を生きる人に伝えたかったからのと、健康を保つ方法が記されていたからだ。(もし貝原さんが教える方法を学んで実践するのであれば、今の生活様式に合わせて取捨選択してほしい。しかし、根本となる考えはいつの時代もあてはまるものだと私は考える。)

さて、本題である。養生訓の冒頭には「人の身は父母を本とし、天地を初とする。」という一言がでてくる。これを現代語に意訳してみると、人間の存在は、父母から与えられ、自然によって育てられている。とは言えないか。

このことを基に考えると、父母から与えられた自分を損なうようなことはせず、(親から与えられた)自分の性質に沿った生き方をしなくてはならない。また、人間は周囲の環境に左右されるため、自分が住むところの環境に適した暮らし方(生き方)をしなくてはならない。

暑い時や寒い時は、暑さや寒さによって自分の身体が弱くなってしまわぬように暑さや寒さを避け、湿度が高いときや雨風が強い時にはそれらから自分の身体を守らなければならない。

また現代では、自分の住む地域では育たない、作ることのできない世界各国の食べ物が身近にあるため、なるべく近くで採れる自然に沿った作り方で作られた食べ物を選択し、食べるべきである。

自分を養生しなければいけない理由は、自分とは、父母から与えられた身体を持ち、自然によって生かされている存在であるから、自分のものではないからだ。自分とは、父母天地から与えられた身体を借りている存在なのである。この与えられた身体を自分勝手に滅ぼすようなことはしてはいけない。ということが、「人の身は父母を本とし、天地を初とする。」という一文に含まれていると私は考える。以上である。

今回は、養生訓の冒頭の一文を紹介したが、次回以降は養生訓の内容についての感想を伝えたい。

尚、漢方薬でおなじみの株式会社ツムラのウェブページで、本日私が取り上げた文の紹介がされている。そちらも是非ご確認下さい。

出典
書名:養生訓・和俗童子訓
出版:岩波書店
著者:貝原益軒
校訂:石川謙

2024/11/14 大箸

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