石塚左玄は、「食が異常ならば、心身が異常になり、食が正常ならば心身ともに正常になる」と説いた。
左玄が言うところの正常な食と言うのは、人は穀食動物という本分に則っり、その地域に適した精白していない穀類を中心に食べることである。日本であれば玄米を中心に食べることになる。
玄米には糠が付いているが、この糠という字は「米」に健康の「康」が組み合わさっていることからもわかるとおり、米を糠ごと食べれば健康になれる。一方で白米は米が白く、粕(かす)であるから白米を食べるのは栄養価の低いものを食べているのと同じである。
明治維新以降、日本に病人が増えたのは、白米を食べる文化が全国的に広がり、さらにカリウムの多い小麦から作られた食パンを常食するようになったからだと左玄は指摘した。食が異常になれば、心身が異常になり、国家も異常になっていくことを左玄は危惧していた。
なぜ主に玄米を食べていた日本人が、白米や食パンを食べるようになり、さらにはこってりした肉食や沢山のお菜や鮮やかな菓子まで貪るようになったのか。それは、やはり人は旨いもの、油気のあるもの、見た目の美しいものを求め、目と口を楽しませることばかりに夢中になり、心身を養う食べ物を忌み嫌うからだ。左玄は、明治時代において日本に住む日本人が、欧米人のように塩気の少ないお菜と肉を常食していたら心身ともに害するばかりでなく、難病が多発し、それが年々増加すると予測していた。
以上が「食べもの健康法」の第二章の要点である。
100年以上も前に左玄が予想した通りに、今の日本の医療費は年々増加するばかりで止まることを知らない。今では年間の国内の医療費は45兆円を超えるようになった。左玄が生きていた明治時代と比べたら、現在の日本の食は欧米化がさらに進み、その上熱帯地域のスパイスや果物が日常的になり、日本古来のものは吹き飛んでしまったと言っても過言ではないであろう。本当にこのままで良いのだろうか。
私は、我々日本人は一旦立ち止まり、何を食べるべきなのかということを真剣に考えるべきではないかと考えている。
左玄は、玄米を食べるべきだという教えを残したが、今のご時世にそれを取り入れてくれる家庭は、調理に手間がかかることや食べ慣れていないこともあり、少ないであろう。しかし、一回ぐらい試してみるかという軽い気持ちで、玄米を調理し食べ始める家庭が一軒二軒と現れてくれれば、玄米を食べることのメリットの再発見に繋がるのではないか。
私は26歳になるまで玄米の存在自体を知らなかった。たまたま立ち寄った本屋で玄米の良さを述べる本に出会い、試しに食べたところ、結構美味しく食べられるものであった。むしろ弾力性がある分、柔らかい白米が物足りなく感じるようになった。それから今日まで自炊できる時は玄米や五分つき米を頂いている。
私は玄米ばかり食べることを勧めたいわけではないが、やはり私達の主食は何であるべきかというところを出発点に私達の食を見直すべきではないかと考えている。
写真は土鍋で炊いた小豆入りの玄米。土鍋で玄米を炊くとふっくらと炊き上がり、冷めても美味である。
出典:食べもの健康法(農山漁村文化協会出版、丸山博解題、橋本政憲訳)
7月30日 大箸








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