もう私は37歳である。37歳になってようやく自分の性質が少しずつわかるようになった。私には人を感化させるほどの文章は書けないし、有益な発明もできないし、タフな精神を持っているわけではないし、体力自慢というわけでもない。どちらかと言うと内気で行動範囲が狭い人間である。自分の年齢と性質を考慮すると、これからは大きな野望を持つよりかは、自分の性質に合ったことに早く着手するべきだと認識するようになった。
人はいつかは亡くなってしまうことを考えると、たくさんの荷物はいらないし、必要以上の食糧もいらないのである。私にはいつも心がけている原則があり、それは自分で使用したものは自分で片付けるということである。事業にしろ、生活にしろ自分で使ったものは自分で処理をしなくてはならない。そのように物事の終わりを考えると自分の仕事を広く展開することはできないし、必要以上の物(読み切れない本、食べきれない食材、使い切れない洋服など)は持てない。しかし、ついつい自分の力を顧みず新しい仕事を得ようとしたり、しまう場所を考えずに必要のないものを所有しようとしてしまう。
そういった時は、自分にこう問いかけたい。「いったい自分はいつまで生きるつもりなんだ」と。生きている時間は有限であり、どれだけ自分に残されているのかはわからないのだから、与えられた時間を無駄にしてはいけない。あたかも自分が今後100年でも200年でも生きられるかのごとく生きてはならない。
哲学者のセネカは人生の内側を走るようにしなくてはならないと勧めている。無駄な骨折りをしてはいけないし、努力が不首尾に終わってはいけないと。つまり物事に着手する前によくよく考える必要があるということである。セネカは混乱極める世界の政治の中心で活躍したが、常に自分の死を見つめ、死ぬことを恐れないようにした。そして余暇の時は学問に没頭し多くの作品を残した。2,000年も昔の彼のメッセージは今でも私の胸を打つ。私は彼のメッセージを注意深く読み取り、自分のこれからの生活が少しでも実りあるものになるように落ち着いて一歩一歩着実に前進していきたい。

2024年5月1日
大箸







